主の「媒体」となることが人間の生きる目的

“生きる”ことは“表現する”ことです。
神様から与えられた個性才能を眠らせたままでは、
生きていることにはなりません。
ただゴハンを食べて寝て、息をしているだけ。

今まで“表現する”ことは、
「限られた才能のある人間しかできないもの」として
私たちは認識させられてきました。

しかし、それはユダヤ人が作ってきた幻想であって、
まやかしの世界です。

マスコミでもてはやされる表現者は
すべてユダヤ人の血筋であることがわかりました。

子供の頃から英才教育を受けているので、
他人よりも優れていただけです。

上級国民は受験戦争に巻き込まれずに
慶應などの有名大学に“裏口”から入学。

卒業してからもまともに働きもしないで
「適性があること」をずっとやらせてもらえる環境にあります。

しかも優秀な先生(コーチ)を付けてくれるので、
それが実力の差となって、
庶民は太刀打ちできなくなるのです。

しかし、すでにお分かりのように
スポーツ選手などは引退した後の人生の方が圧倒的に長い。

彼らは特化しすぎたために誰もが体験する社会生活を
ほとんど経験していません。

結果、他者との共生関係を上手く築くことができないのです。

有名なスポーツ選手が引退後、
悲惨な末路を迎えている例を私たちは数多く知っています。

また、芸術の世界ではスポーツのように“勝ち負け”がハッキリしないので、
やりたい放題です。

どうみてもゴミのような作品が賞を獲ったり、
高値で売買されている様はよく目にします。

文学の世界は更に目も当てられず、ずっと過疎化が続いています。
結果として人々は離れ去り、誰も本を読まなくなりました。
(マンガだけは売れているようですが…)

このように音楽や文化芸術、スポーツの世界は
悪魔崇拝者である上級国民だけの“内輪ウケ”の場になりました。

もう終わってます。

そして多くの分野で「成功した」と言われる人間は
最後に必ず「ツケ」を払わされます。
悪魔と契約したのですから当然ですね。

そして今は神様の力がふんだんに地上に注がれているので、
私たち庶民が色々と表現できるようになってきました。

今まで悪魔崇拝者たちが作り上げて来た価値基準をすべて捨て去り、
神様が願う文化芸術を世の中に表現していく時代が来たのです。

それぞれが「媒体」となって、
主の表現者となって生きることが
人間の生きる目的であると考えます。