信仰と盲信の違いについて

納得できるものとできないもの

「信仰」は「裏付けのある」もの、
「盲信」は「裏付けのない」ものと考えられます。

では「裏付け」とは何でしょうか?

それは「本当(本物)である証拠」です。
ただし一定のプロセスを経ないと「証拠」を掴むことはできません。

ある情報を基にして仮説を立てる→実践する(調べるor行動する)→思った通り(それ以上?)の結果が得られる→納得(理解)する

このプロセスを経て、
初めて「信じる(信仰する)」 ことができるのです。

頭を空っぽにして情報の全てを受け入れることは
「盲信」であるといえるでしょう。

政府やマスメディアの情報をそのまま受け入れるのは
当然のことながら盲信です。
それこそが先程のプロセスの洗礼を受けていないので、
カルト宗教に嵌った信者と同じです。

悪魔崇拝者が現実に存在していた

ラプト理論に出会うまでは「悪魔崇拝者」を知りませんでした。
しかし自分で調べてみると明らかに彼らは存在し、
私たちを支配し、悍しい生活を送っていることがわかりました。

そして彼らが霊体である悪魔を拝んでいるという事実。
彼らは現実主義で、実利的な思考をする人間たちだと考えていました。

そんな人間が「悪魔に祈る」などという一見、無意味なことをする。
それは衝撃的でした。

今でも出口王仁三郎は影響力があり、
ルシファー信仰の根源であると考えられます。

ラプト理論は盲信ではなく「確信」

悪魔が存在すれば、当然のことながら神様が存在します。
そして世の中には霊界があって、
その霊界は現実社会(肉界)と影響し合っていることが理解できました。

人生は二者択一です。
神様を信仰するか、悪魔を信仰するか。
東出融のように両方を信仰することはできません。
それは悪魔の甘い罠です。

「確信」から「信仰」に変わるのは
そんなに時間がかかることではありません。

Twitterをやっていると
「真実の持つ力」に圧倒されます。
それこそが神様の力です。

悪魔の支配する時代から神様の支配する時代へ。
あなたもリアルタイムで歴史の変わる瞬間を見ることができるのです。

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