ゲツセマネで弟子たちが祈っていたら、歴史は変わったのか?

重要性が悟れてなかった弟子たち

イエス様は逮捕される前夜、
弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴って、
オリーブ山の麓にあるゲツセマネの園で祈りを捧げています。

弟子たちと少し離れた場所でイエス様は祈っていましたが、
戻ってみると彼らは眠っていた、という話です。

このシーンは新約聖書の中でも特に有名で、
多くの画家が絵に残しています。

イエス様が奪われるかどうかの瀬戸際。
弟子たちは「その夜」の重要性を悟れていませんでした。
そのために不覚にも彼らは寝落ちしてしまった…。

では弟子たちが不従順であったか?、というとそうではなく、
イエス様はシモンに対して
「心は燃えていても、肉体は弱い」とフォローしています。

歴史を繰り返してはならない

2000年後の今、私たちは同じ状況を迎えています。
つまりゲツセマネの園にいます。

当時イエス様はイスカリオテのユダが裏切ったことを含めて、
弟子たちに詳しい状況説明をしていなかったと考えられます。
つまり組織の中で「問題意識の共有」がなされていなかったのです。

しかし、現代の中心者であるラプト氏は「朝会の御言葉」で
人間サタンであるイルミナティの動き、
そして霊的なサタンの攻撃の様子などを
事細かに説明してくださっています。

「情報の共有が図れていない」ということであれば、
それは私たち受け取る側の問題であって、
サボタージュに他ならないのではないか…。

私たちは2000年前と同じ過ちを繰り返してしまうのか?
“否”
それは断固として拒否しなければなりません。

神様はこの文明において「今回の降臨が最後」といわれています。

ラプト氏以外は誰ひとり救われることなく、
前文明に暮らした多くの人々のように滅び去るだけです。

その後は1万年先になるか2万年先になるか、誰にもわかりません。

今はハルマゲドンであり、
この一年が「ゲツセマネの夜」であるという認識が必要なのです。

決して眠っていてはいけません。

参考 RAPT有料記事219(2017年10月28日)中心者を神の人だとはっきりと認めたとき、神と同じ力と権能が授けられる。ラプトブログ