停滞は死を意味する

ラプト氏は以前の御言葉で
私たちを胎児に例えられていました。

胎児は母体の中で、もの凄い勢いで日々成長しています。
それが止まってしまったらどうなるのか?
現状維持ではなく、死です。

信仰も同じように
昨日より今日、今日より明日といった具合に
時と共に成長していかなければなりません。

私たちはつい毎日の感情や生活に溺れてしまって、
成長することを忘れがちです。

人のせいにしたり、あるいは環境のせいにして
怠惰が体中にこびりついていきます。

それが毎日の「垢」となって私たちの体を重くし、
気付いた時には悪臭を放ち始めています。

「垢」は「罪」です。
明け方の祈りの時に悔い改めなければ、その罪は洗い流されません。

道具も同じです。
使っている時よりも使っていない時に
いかに手をかけてあげるかで
パフォーマンスが変わってきます。

特にナイフなどの刃物は直ぐに錆びつき、
切れなくなってしまいます。
研がれていないナイフほど危ないものはありません。

無駄な力を必要とするばかりか、
変に力を入れると刃先が思わぬ所に滑り込み
指を怪我させてしまいます。

毎日毎日、メンテナンスをする時間を設けて、
最高のパフォーマンスが出せるように心がけることが大切だと考えます。

それが明け方の祈りの時間であり、
神様と会話する時間であることは間違いありません。

参考 RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。ラプトブログ

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