中心者の繁栄を祈ることについて

「朱に交われば赤くなる」

友達の場合でも
悪友とつるんでいれば悪い人間になっていくし、
良い友達と一緒に行動すれば善人になり、
賢く生きることができます。

肉界では
お互いが相互作用の関係となって、
良い方向に、あるいは悪い方向に増長していきます。

神様との関係も同じように、
神様と一緒の時間が長ければ長いほど影響され、
より神様に近い人間になることができます。

神様と一緒の時間とは「祈りの時間」であることを
ラプト氏から教えていただきました。

100%神様に意識を向ける時間が人間には必要なのです。

しかし、祈りの時間が長ければ長くなるほど邪念が入り込み、
ふと気付くとまったく関係のないことが頭の中を駆け巡ったりします。

単純に「明け方の時間を眠らないで過ごした」ということで
満足感を得ていたこともありました。

また時には形骸化してしまって、
決まった文句を呪文のように繰り返していた時もありました。

祈るという行為が身についていない

統一教会やオウム真理教、創価学会、テロを起こすイスラム教などの影響もあって、
多くの日本人と同様に私は宗教が嫌いでした。

「宗教がなければ騙される人がいなくなるし、戦争も起きないのに…」、と恨んでさえいました。

祈りといえば
正月に明治神宮に行き、
大行列の中、お賽銭を投げ入れて
家内安全などを頭の中で唱えるだけでした。

つまりは祈るという行為がどういうものか
全く知らないで人生のほとんどを過ごしてきたのです。

ラプト氏の御言葉に出会って、
3年半ほど前から信仰生活が始まりました。
まだ3年半の未熟者です。

つまりは付け焼き刃的で
祈りが身についていないのです。

では、何を祈るのか?

昨日、2月7日の御言葉にあったように
中心者であるラプト氏の繁栄を祈ることです。

今までの祈りはスルッと傍を抜けていくような、
指の間から水が流れ落ちていくような感覚でした。

しかしラプト氏の繁栄を祈ると、
神様が両手で受け止めてくださるような
そんな感覚になります。

今までもラプト氏はもちろんのこと
兄弟姉妹たちの繁栄についても祈ってきましたが、
形だけだったような気がします。

心を込めて、全力で祈ったのか? と聞かれると、
まだまだ少なかったという気分になるのです。

中心者の繁栄こそ私たち義人の繁栄であり、
神様の御言葉が成就する唯一の手段であることが理解できました。

霊界におられる神様の意思を肉界に伝えることができるのは
ラプト氏以外には存在しません。

もう一度そのことを認識させられました。
悔い改めます。

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