聖書は洗脳ツールなのか!?

参考 キリスト教最大のタブーその二。聖書に書かれた奇跡はほとんど奇跡ではない。ラプトブログ

私は、以前
「聖書を読んだら悪い宗教に洗脳される」と
考えていました。

しかし、ラプト氏の勧めで読んでみると
“目からうろこが落ちる”(この諺は聖書が語源です)状態に…。
聖書は「歴史書」だったのです。
決して危険な書物ではありません。

つまりは古代から延々と続く
神様である「主」と
私たち人間との
「愛の物語が綴られた本」なのでした。

確かに旧約聖書は約6000年前、
新約聖書は約2000年前に書かれていますので、
今の時代にマッチしていなかったり
難解で理解できない所も多々あります。

しかし読んでいると
どの時代の人たちも
現代とあまり変わらない生活をしていることがわかります。

もちろん自動車や飛行機、インターネットなどはありませんが、
人々は日々の生活の中で働いて食事をし、家族を作り、
笑ったり、喜んだり、悩んだり、悲しんだりしていました。

ただ現代と大きく違うのは
“神様の存在”が大きかったということ。
神様とともに生きていて、
「神様に祈りを捧げて」生活していたのです。

「神様に祈りを捧げる」というのは
日本人が苦手な所ですが、
あなたも元旦、神社仏閣に初詣に行ったことがあると思います。
その延長線上が「祈りを捧げる」と考えれば
よいのではないでしょうか。

そして重要なのは
聖書は「自力では読めない」ということです。
参考にあるラプトブログを読んで欲しいのですが、
「例え」が多用されていて、
正直わかりにくい。
(それは悪者に悪用される恐れがあるために封印されている、とのこと)

ラプトブログの有料記事を読んで、
初めて「なるほどそういうことなのか…」と
理解できるのです。
ラプトブログの有料記事は
唯一無二の聖書の副読本なのです。

そしてラプト氏から教えてもらったのは
「今も神様は私たちの近くで生きている」ということ。

誰しも一度は考えたことがある
「私は何のために生まれてきたのだろうか?」
この問題を解決してくれるには聖書しかないのです。